核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

脱炭素文学

 前前前前回に引用した、『文庫』誌の読者欄に、村井弦斎の小説はだんとつで売れるのに、尾崎紅葉幸田露伴のは売れないことを、「悲しいこと」と表現した投稿がありました。まるで、紅葉・露伴の小説は高級な芸術で、弦斎は低級な通俗小説に過ぎないといわんばかりに。

 もちろん、私はまったく同意しません。たかだか炭素の同素体のカタマリが、「三百円の金剛石(ダイヤモンド)!」(尾崎紅葉金色夜叉』)とかありがたがられたのと同じ時代に、弦斎は太陽光・太陽熱エネルギーの実用化による、脱炭素社会を思い描いていました。

 

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 「太陽熱と云ふものは炭や薪の代りをして大層重宝なものだってネー、此頃は各処へ大きな煙突が出来て妾(わたし)達は車で歩くとよくあの煙突から黒い煤が飛んで来るのでなけなしの衣服を汚される事もあるし、夏なんぞは白地の物を戸外へ干して置くとあの煤で真黒にされるから皆なこぼして居たけれどもモーあの太陽熱が出来れば石炭が要らなくつて黒い煤も出ないんだつて」
 (『日の出島』「老松の巻」)
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 太陽光と太陽熱を分離し、別々に保存して、必要に応じて再利用するのが発明のキモです。『日の出島』はハードSFではないので、具体的な原理は書いてありませんが。

 現代でも太陽エネルギーへの移行はまだ実現していないわけですが、それは弦斎の罪ではなく、現代人は科学の進歩ののろさを恥じるべきでしょう。煤や二酸化炭素放射線を出さない、持続可能なエネルギーの時代へ向けて。