核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

アラン 「動物崇拝」(『プロポ Ⅰ』より)

 (本来は昨夜(4月7日夜)に書くはずでしたが、PC不調により遅れたことをお詫びします)。
 アランはデカルト哲学に心酔しており、例の「動物には魂はない」という説についても例外ではありませんでした。
 ビーバーがダムを作ったり、鳥が巣を編んだりするのを見ると、つい動物がものごとを考えた上でそうしているように思えるものです。そうした擬人化への、「方法上の予防策」として、アランはデカルトを持ち出します。
 
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 私ならまず、動物はけっして思考しないとするデカルトの厳格な観念を措定するにちがいない。この観念はあらゆるひとの反発を買う。だが、ひとつの思考からある行為を説明するとき、そのひとはなにを語っているというのか。鳥は卵を生み、それをかえすために巣をつくると言うとき、そのひとはそれでなにを説明しているというのか。(略)
 動物のなかには感嘆すべきものはなにもない。いかなる魂も想定すべきではないし、いかなる予知能力も期待すべきではない。動物はその形態とその面とにもとづいて転がる物質の塊にほかならない。人間が滑空に成功したのは、鳥の飛翔をそのように冷静な眼で観察した結果である。
                                                                       一九二三年五月八日
 (333~334ページ)
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 納得いかない方も多いでしょうが(私もそうですし、デカルトに反論した六人衆もそうでしょう)、ひとまずアランの意見を引用するにとどめておきます。