「事実そのままの歴史」ではなく、理性によってとらえられた「哲学的な歴史」というふれこみです。…が、読んでいるとヘーゲルのいう理性というやつに、疑問を感じずにはいられません。
たとえば序論中の、以下のアフリカ人の記述。
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黒人は道徳的感情がまったく希薄で、むしろ全然ないといってよく、両親が子どもを売ったり、反対に子どもが両親を売ったりする。(略)
生を尊重しないがゆえに、黒人にはおそるべき体力にささえられた蛮勇があって、そのために、ヨーロッパ人とのたたかいでは何千という黒人が平気で射殺される。生は、価値ある目的をもつとき、はじめて価値あるものとなるのです。
(164ページ)
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…両親から子どもを「買って」いるのは、一体どこの民族ですか。何千という黒人を平気で射殺しているヨーロッパ人は、生を尊重する価値ある民族なんでしょうか。
一時が万事、ヘーゲルの歴史哲学は最後までこの調子です。
という確固たる図式が、ヘーゲルの中には先にあって、世界史の都合のいいとこだけをその図式にあてはめているにすぎません。たとえばアリストファネス(アリストパネス)の名前は下巻で二度ほど出てきますが、彼が平和主義者・女権論者だったことは一言も述べられませんでした。
理性的でも現実的でもない哲学。それが私のヘーゲル観です。