以下の記述は、エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ『暴力と聖性 レヴィナスは語る』(国文社 一九九一年)によります。ブーバーのほうの著述は読んでいないことをお断りしておきます。
「『サムエル記Ⅰ』第一五章三三節について」「預言者がサウル王にアマレク人の王国を地図と歴史から抹殺せよと命じる箇所」(一六七頁)とレヴィナスは語っているのですが、この時点でレヴィナスは聖書の改竄を行っています。原文にあるのは老若男女皆殺しであって、「地図と歴史から抹殺せよ」なんてなまやさしいことではありません。
そしてブーバーの「預言者は神が彼に命じられたことの真意を理解できなかった」という解釈に反論し、「アマレク人というのは聖書的・タルムード的伝統においては根源的な悪の体現者です」(一六七頁)、「そのときブーバーはアウシュヴィッツのことを考えてはいなかったのです」(一六八頁)と述べます。
アウシュビッツのことを忘れているのは、ブーバーとレヴィナスのどちらでしょうか。「あの〇〇民族は悪だから皆殺しにすべきだ」という聖書の思想こそ、アウシュヴィッツを生んだ思想ではありませんか。
この一事をもっていえることは、レヴィナスは哲学者の名に値しないということです。聖書に殺せと書いてあるから正しい、などというようでは、彼の「顔」の哲学も怪しいものです。