核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

石川明人『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理」(中公新書 二〇一六)

 キリスト教の一派であるロシア正教が、ロシアの侵略戦争を支持しているという記事があります。

 

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 英国政府は6月16日、ロシアの宗教界の重鎮であるロシア正教会のキリル総主教を制裁対象に追加した。背景にはキリル総主教が軍事侵攻を容認するだけでなく、強く支持していることがある。

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 (2022・10・5追記 上記記事は石川著ではなく、ネット上のニュース記事です。まぎらわしい引用の仕方だったので追記しておきます)

 

 キリスト教は戦争含む殺人を否定しているのでは?と考える人は、石川明人氏に言わせれば、「甘い」んだそうです。

 

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 聖書に「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」と書かれているから、キリスト教徒はみな、せめて建前上は絶対平和主義だろうと考えるのは、「宗教」に対しても「戦争」に対しても、認識が甘いのである。もちろんなかには、いかなる暴力をも拒否して平和主義を貫徹する人たちもいた。今でもいる。しかし、そうした彼らは、キリスト教全体のなかでは、あくまで少数派であり、珍しい連中に過ぎないというのが現実である。(六九頁)

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 まさにその通りです。明治日本でも、キリスト教徒の大多数は日清・日露戦争に賛成していました。日露戦争に反対した内村鑑三や、このブログによく出てくる絶対平和主義の木下尚江は少数派であり、珍しい連中です。

 ごく初期の古代キリスト教は平和主義だったのかというと、そんなこともありません。この『キリスト教と戦争』の第四章「初期キリスト教は平和主義だったのか」にも、キリスト教が平和主義的では当初からなかった事例が示されています。

 結局のところ、キリスト教に過大な期待をするのはやめよう、というのが、この本を読んでの感想です。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」なんてきれいごとを言いながら、自分に危険が迫ると「剣を買え」と弟子に命じるようなイエスが教祖なのですから(同書一〇一~一〇三頁にこの発言への言及がありますが、納得のいくものではありません)。キリスト教イスラム教や仏教や神道統一教会オウム真理教と同様、「ただの宗教」にすぎないと認めるのが正しいのでしょう。

 なお、私はキリスト教に対して、ことさらに批判的というわけではありません。たとえばマルクス主義などという、「ただの宗教」よりもさらに悪質な教義に比べれば、まだ比較的対話の通じる相手だとさえ思っています。