核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

『サムエル記 Ⅰ』におけるアマレク人「聖絶」問題

 「聖書って読んだことないけど、『善いことをしなさい』って書いてある本でしょ?」という方は多いと思いますが、違います。「悪いことをしなさい」ってなことばかり書いてある本です。

 以下、旧約聖書「サムエル記Ⅰ」より、預言者サムエルが王サウルに言ったセリフ。

 

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 万軍のはこう仰せられる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。

 今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。』」

 (新改訳『聖書』四四八頁)

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 「殺せ」は日本語訳によっては「殺しなさい」になってますけど、内容は大差ないはずです。敬語にしたから上品になるような内容ではありません。

」は原文ではゴシック体だけど、これもどうでもいいですね。そのゴシック体(追記 よく見たらゴシック体じゃなくただの太字でした 訂正します)サムエルを通じて「男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ」と告げたわけです。

 お告げを受けたサウル王もどうかしていて、アマレクの民は残らず「聖絶」=皆殺ししたのに、肥えた羊や牛は惜しんで残しておいたため、またひと騒動あるわけですが。

 ここでは問題を「聖絶」にしぼります。神が殺せと命じたから殺すのでは、ユダヤ教キリスト教オウム真理教と大差ないのではないか。無神論者の私はそう思うのですが、ネットで検索してみると、キリスト教徒の多くはこの挿話を文字通りに信仰しているようです。「アマレク」を「日本」に置き換えたお告げがくだったら、彼らは実行するつもりなのでしょうか。

 ユダヤ人の大哲学者とされるレヴィナスさえもそうなのです。レヴィナスの哲学は「人を殺さない」という禁止が主題と聞いていましたが、疑わしくなってきました。