2013年2月24日の記事で、私は以下のように書いてしまいました。
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「高校世界史レベルの常識」ならば、ホッブズは王権神授説ではなく、「社会契約説」が正解です。まったく、お恥ずかしい限りです。
ただ、『リヴァイアサン』第2部の記述を読むと、王権神授説としか思えない箇所もあることは確かです。そういうわけで、水田訳を読み返してみることにしました。いつもお世話になっている『世界の名著』シリーズの『リヴァイアサン』は後半省略なので。
たしかに第1部および第2部の前半では、「各人の各人にたいする戦争」(85ページ)状態を脱するために、人類は契約によってコモン‐ウェルス(国家)を設立した、という社会契約説が述べられています。
しかし第2部第二十章「父権的および専制的支配」では、社会契約に基づく「設立によるコモン‐ウェルス」ではない、力への恐怖に基づく「獲得によるコモン‐ウェルス」についても述べられています。ホッブズは聖書の用例を引いて、こうした「獲得によるコモン‐ウェルス」も、「設立によるコモン‐ウェルス」と同じく、絶対的な権限を持つとしています。
そして第二十三章「主権の公的代行者について」では、主権者と代行者の違いについてこう書いています。
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君主または主権合議体だけが、人民を教育し指導する権威を神から直接にさずかっているのであり、他のいかなる人でもなく、主権者だけが、神のめぐみによってのみ、すなわち、他のなにものでもなく神の恩寵だけによって、その権力をさずかっているのである。
(161ページ。引用文下線は原文では傍点)
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↑この一節を見ると、これが王権神授説でなくて何なんだという気がしてきます。控えめに見ても、ホッブズの国家論は社会契約説と王権神授説の二本立てだったのではないでしょうか。
現時点では第2部のなかばまでしか読んでいないので、結論を出すのは最後まで読んでからにします。
なお、私自身は王権神授説も社会契約説も信じていませんが、「権力はどこから生じるか」という問題には大いに関心を持っています。