核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

#哲学

第三反論と答弁 1~8(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

ちょっとだけデカルトに戻ります。今すぐ小林秀雄について書いても、以前にandew様に反論したのと同じ内容を繰り返すだけになりそうなので、少し冷却期間をおくことにさせていただいたわけです。「機械は考えることができるか」という問題とも、まんざら無関…

第二反論と答弁(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

省察六番勝負その二。今回は長いので、私の余計なコメントははさまず要約に徹します。 ・メルセンヌによるとされる第二反論 1 「物体が思惟することはありえない」とデカルトは前提しているが、そう断言できるのか?。 2 デカルトの言う「神の観念」は神自…

第一反論と答弁(白水社『デカルト著作集 2』 1973 より)

「何とも強力な反対者を私にあなたがたはお差し向けになりまして」というデカルトの言葉が期待をかきたてます。省察六番勝負の第一。 最初の反論者はオランダ、アルクマールの大司祭カテルス(解説より)。デカルトの友人メルセンヌを通して、出版前の『省察…

デカルト『情念論』における「高邁」

高邁(こうまい)と高慢(こうまん)。日本語だと一文字の差ですけど、デカルトは「高邁」を、「高慢」と全く相反するものと定義します。 才、美、富、栄誉などの外的なものを尊ぶのが高慢で、自分自身のうちにある自由意志だけを尊ぶのが高邁。 ※ 「彼ら(…

CiNii上に、『省察』未収録の反論と答弁を訳した二論文がありました。

20件ずつ表示 50件ずつ表示 100件ずつ表示 200件ずつ表示 出版年:新しい順 出版年:古い順 論文名:五十音順 論文名:五十音逆順 刊行物名:五十音順 刊行物名:五十音逆順 被引用件数:多い順 「デカルトから某氏への書簡(1641年8月)」訳解 … 稿の取り上げ…

『省察』「第七反論・答弁」の日本語訳について

すでにお気づきの方も多いかと思いますが、私は大ばか者でした。「第七反論・答弁」はとっくに日本語に訳されていたのです。 KAKEN(科学研究費助成事業データベース)の1995~97年度、村上勝三という方を代表者とする、「デカルト『省察』「反論と答…

デカルト『省察』本論部分の章立て

『省察』の本論部分は青空文庫でも読めるし、『方法序説』や『哲学の原理』ともかなりの割合でかぶるので、各章の小見出しを並べるにとどめます。 第一省察 疑いを差しはさみうるものについて 第二省察 人間的精神の本性について。精神は身体よりも、より良…

デカルト著 三木清訳 『省察』(青空文庫 底本は岩波文庫 1933)

これまで白水社の著作集でデカルトを読んできましたが、『省察』は実は青空文庫に収録されてました。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001029/files/43291_21543.html ただ、日本語訳の『省察』の多くと同じく、こちらも本文のみ、反論と答弁はなしとなってお…

柄谷行人 『哲学の起源』 岩波書店 2012

17世紀のデカルトからはだいぶ離れた、紀元前6~5世紀のギリシアのお話です。 ギリシアといってもアテネではなくイオニア。デモクラシー(民主主義)ではなくイソノミア(無支配)。それが本書の主題です。 私としては、ろくに資料の残ってないイオニア…

蜜蠟について(デカルト『省察』「省察Ⅱ」より)

「第二省察」の主役ともいうべき蜜蠟(みつろう。文字化け・つぶれの際はご容赦ください)。 ウィキペディアにの「蜜蝋」の項によれば、「ミツロウ(蜜蝋、Beeswax、Cera alba)はミツバチ(働きバチ)の巣を構成する蝋を精製したものをいう」そうです。 デ…

デカルトの存在論的証明への反論の例

まずデカルトの、神の存在論的証明のおさらいを。引用は「省察Ⅲ」からですが(白水社『デカルト著作集 Ⅱ』収録)、同じ論はデカルトのいたるところにでてきます。デカルト哲学の根幹といっていいでしょう。 ※ 私がそれによって永遠で、無限で、全知で、全能…

デカルト 『省察』 「序言」(白水社『デカルト著作集』 1973)

まだ序言しか読んでいない、というわけではありません。 この序言で、「私はくれぐれも読者に、それらの反論とそれに対する解答のすべてを読み通す労をとられるよりも先に『省察』について判断をくだすことのないように、お願いする」(19ページ)と釘をさ…

デカルトの慎重さ(伊藤勝彦『デカルトの人間像』勁草書房 1970)

「デカルトの慎重さ」(la prudence de Decartes)については、専門家の間でも意見がわかれているようです。 以下、伊藤勝彦氏の『デカルトの人間像』より、諸説を紹介した箇所を引用します。本来、こちらを先にすべきでした。 ※ ガリレイ事件は一六三三年六…

デカルトの初恋 (白水社『デカルト著作集 Ⅲ』1973 「書簡集」 より)

小林秀雄とは何の関係もありませんが、ほほえましい話なので引用してみます。 友人のシャニュあて、「ハーグ、一六四七年六月六日」とある手紙の一節。 ※ たとえば、私は子供のころ、同い年の女の子が好きでした。ところが彼女は、いくぶんやぶにらみであっ…

『ビュルマンとの対話』 (白水社『デカルト著作集 Ⅳ』 1973)

1648年。二十歳のオランダ人神学者ビュルマンが晩年のデカルトを訪れ、その質疑を口述筆記したものだそうです(解説 444ページより)。 たとえば前回の、神の存在論的存在証明について。ビュルマンは『省察』の「私は二つまたはそれ以上のこの種の神…

デカルト 『哲学原理』における神の存在論的証明、その他

「一 真理を探究するためには、一生に一度は、あらゆる事柄について、可能な限り疑わなければならない。」 (『哲学原理』「第一部 人間的認識の諸原理について」 引用は白水社『デカルト著作集 Ⅲ』1973 33ページより) こんな感じで、デカルト哲学の…

デカルト「方法序説」における動物機械論

有名な議論ではありますが、せっかくなので引用してみます。図書館への返却日も迫ったことだし。 白水社『デカルト著作集 Ⅰ』(1973)。「方法序説」第五部より。 人間とオートマット(自動機械)の違いは、「ことばや記号を使うこと」「どんなできごと…

金森修 『動物に魂はあるのか』 中公新書 2012 より アガンベン要約

アガンベンの『開かれ』は先日川崎の図書館で見つけたのですが、満席だったこともありじっくり読む余裕がありませんでした。このたび、金森修『動物に魂はあるのか』に要約を見つけましたので、引用します。 ※ (前段略。人間と動物の違いは実体的に明確なの…

アガンベン 『開かれ 人間と動物』

つい久しぶりに現代思想なんぞに手を出してしまいましたが、理解不能でした。 「難解」というのとは少し違います。私はこれでも専門外ながらプラトンだのアクィナスだのカントだのを読んできてまして、西洋文明が人間と動物を区別してきた論理については理解…

テセウスの船の問題

ちくま文庫『プルタルコス英雄伝(上)』(1987)の「テセウス伝」31ページより。 三浦俊彦『論理パラドクス』(二見書房 2002)にもとりあげられていた問題です。 ※ テセウスが若者たちと一緒に乗って出帆し、無事にもどって来たその三十(木偏に…

デモクリトスの円錐問題 解決編―三浦俊彦『論理サバイバル』(二見書房 2003)より

同書26ページ、「デモクリトスのジレンマ」より。 ※ はっきり言えることは、(略)円錐としてどのような円錐を考えているのか―A.物理的な円錐か、B.数学的な円錐か―について曖昧だということである。(略) A. 物理的円錐を物理的に切断したとすれば、…

ブタの理想国―プラトン『国家』における戦争の起源

プラトン著、藤沢令夫訳『国家(上)』(岩波文庫 1979)より。半年ほど前に扱った時に、「トラさん乱入編」をやるとか予告してしまいましたが、現在の私にはトラさんを論破できるだけの能力はないことが判明しまして。 第1巻の正義論を少し飛ばしまし…

ラッセル 「なぜ私はキリスト教徒ではないか」(1927) その1

アリストテレスに始まり、トマス・アクィナスら中世のスコラ哲学者が丸ぱくりしてきた、「第一原因」による神の存在証明という議論があります。すべての物事には原因があり、その原因をさかのぼっていくと、すべての原因の根源にゆきつくはずだ、という説で…

バートランド・ラッセル 『社会活動の諸原理』(1916)「第三章 制度としての戦争」 その2

最近かぜ気味で休みがちになってしまったことをお詫びします。核兵器および通常兵器の廃絶をめざすための研究活動は休まず続けているのですけど、どうも頭が働かなくて。 ずっと前から私を悩ませてきた問題の一つに、「どこまでが通常兵器に入るのか?」とい…

カント 『人倫の形而上学』(1797)の戦争観

図書館に返す日が迫ったので、メモ代わりに写しておきます。傍点は下線に。 ※ 戦争への権利については、まず次のような問題が生ずる。すなわち、国家は、自分の臣民たちに対してそもそもどんな権利をもつがゆえに、他国との戦争に対して彼らを使用し、彼らの…

カント『判断力批判』批判―戦争論限定

カントの三大批判はむか~し読んだっきりだったのですけど、このたび虚構だの気概だのを論じるにあたって読み返してみたわけです。そしたら、 ※ 戦争ですら、規律と市民権への神聖な敬意をともなって行われるならば、それ自体にある崇高なものをもち、そのよ…

18、虚構実現論(アンタルキダス)

18.虚構実現論(アンタルキダス) 一度虚構作品の形で現れたものは、いつ実現してもおかしくない。 まず、現実と虚構の境界をどう考えるかです。私はこの現実世界は実在すると思っていますし、実在するものと実在しないものとの間には確かな境界線が存在…

三浦俊彦 『虚構世界の存在論』 勁草書房 1995 その2

昨日(http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/6454448.html)に引き続き、『虚構世界の存在論』を紹介します。 予告では私自身の虚構論を論17として披露するはずでしたが、かんじんの三浦氏の結論を書き落としていたので、先にそちらを要約します。 1…

三浦俊彦 『虚構世界の存在論』 勁草書房 1995 その1

小説の中の人とは異世界人なのか。それとも広い意味でこの世界の住人なのか。そんな疑問に答える一冊。 とりあえずの心覚えに、第四章の「諸説概観」の見出しを書き写してみます。 1、記述理論(ラッセル) 虚構的存在なるものは指示対象ではない。虚構名は…

克己願望―気概のもう一つの形態

気概ある絶対平和主義者でありたい。そう思い、誰も読んでないかもな考察を続けるアンタルです。 F・フクヤマは気概を優越願望(人より上でありたい)と対等願望(人なみでありたい)に分類しましたが、私はさらに第3の要素、克己願望(かつみがんぼうでは…