核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

カント 『人倫の形而上学』(1797)の戦争観

 図書館に返す日が迫ったので、メモ代わりに写しておきます。傍点は下線に。
 
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 戦争への権利については、まず次のような問題が生ずる。すなわち、国家は、自分の臣民たちに対してそもそもどんな権利をもつがゆえに、他国との戦争に対して彼らを使用し、彼らの財産を、否さらには生命までも消耗し、または危険にさらさせ、しかも、その戦争に従軍すべきか否かを彼ら自身の判断に委ねることなく、主権者の至上命令によって彼らを戦争に赴かせるということを許されているのか?(略)
 国家公民というのは、(略)どんな特殊な宣戦に対しても、国民の代表者たちを通して、自分の自由な同意を与えなければならない、そういった者なのであって、この同意という制限的条件のもとでだけはじめて国家は彼らの危険に充ちた役務を自由に処分しうることになるのである。
  『世界の名著 32 カント』 中央公論社 1972 489~491ページ
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 ・・・要するに、国民が同意した戦争ならやってもいいと。
 「戦争中の権利」「戦争後の権利」についても書いてますけど、「自衛はいいけどスパイや暗殺はダメ」「徴発はいいけど略奪はダメ」「植民地化はいいけど奴隷化はダメ」と妙にしゃくし定規でして、二年前の『永遠の平和のために』と比べて明らかに退化しています。誰に遠慮してるんだ。
 要するに、「ルールを守った戦争なら許される」としか読めないんですよ。グロチウスと大差ないだろ。
 カントが世界平和を志向する数少ない(ほんとうに数少ない!)哲学者の一人であることは確かなんですけど、味方としてはあんまり頼りにならないようです。アポステリオリめ。
 カントをおとしめているわけではありません。カントは頼りなくはあっても味方であり、ヘーゲルとその継承者たちは私の不倶戴天の敵です。