同書26ページ、「デモクリトスのジレンマ」より。
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はっきり言えることは、(略)円錐としてどのような円錐を考えているのか―A.物理的な円錐か、B.数学的な円錐か―について曖昧だということである。(略)
A. 物理的円錐を物理的に切断したとすれば、2つの断面積はたぶん微小に異なるだろうが、それは微小な厚みを持つ物理的平面によって隔てられているからであって、断面と断面の中間は破壊され消滅している。よって、切断後から復元すればズレの断層が残ることになるだろうが、切断前の円錐にギザギザがあったという証明にはならない。
B. 数学的な円錐を数学的平面で切断したならば、2つの断面積に違いはないだろう。
(略)これは円筒だろうが円錐だろうが球だろうが同じなので、断面が同じということからは何の結論も出てこない。(略)円錐の切断平面においては2つの断面は全く等しいが、少しでも異なる平面においては断面の大きさは異なりうるのだ。
デモクリトスは古代原子論の代名詞のような人だから、原子とこの円錐問題(微分の発想?)との関係をどう考えていたのか、好奇心が湧くところである。
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・・・デモクリトスのいう原子は現代物理学でいう原子とちがって、大きさはあるけど不可分、だったはずです。なおかつデモクリトスはピタゴラス派でもイデア論者でもないので、物理的な円錐を想定していたと考えるべきではないでしょうか。原子レベルで上の断面のほうが小さい、あたりが結論かと。