核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

エルンスト・マッハ(ウィキペディアより)

 そもそもマッハって誰よ。実は私もよく知らないのです。今日は図書館もお休みなので、ひとまずウィキペディアを引用します。後日、文献資料と照合するつもりです。
 
 
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 エルンスト・ヴァルトフリート・ヨーゼフ・ヴェンツェル・マッハErnst Waldfried Joseph Wenzel Mach, 1838年2月18日 - 1916年2月19日 ドイツ・ハール Haar bei München)は、オーストリア物理学者科学史家哲学者。(略) 
 マッハの研究した領域は哲学物理学科学史心理学生理学音楽学などの様々な分野にわたっている。物理学だけでなく、哲学心理学科学史科学哲学などの領域で、後世にまで残る大きな影響を残している。
哲学の分野では現象学等に多くの影響を与えている。認識論科学哲学の分野では、思惟経済という考えかたを強調したことで影響を残した。生理学でも《マッハ・ブロイアー説》など、マッハの名前が冠された業績は多数ある。心理学分野では《マッハの帯》や《マッハ効果》を発見し、さらに現在のゲシュタルト心理学知覚心理学にも影響を与えている。(略)
 科学史の分野では『力学の発達』(1883年)、『熱学の諸原理』(1896年)、『物理光学の諸原理』(1921年)が科学史三部作と呼ばれ、高く評価されている。
 『力学の発達』1883年では、当時の物理学界を支配していた力学的自然観を批判した。
ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、形而上学的な要素が入り込んでいるとして批判した。この考え方はアインシュタインに大きな影響を与え、特殊相対性理論の構築への道を開いた。そしてマッハの原理を提唱した。このマッハの原理は、物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる、とするものである。この原理は一般相対性理論の構築に貢献することになった。マッハは「皆さん、はたしてこの世に《絶対》などというのはあるのでしょうか?」と指摘したことがある。(ただし、マッハ自身は相対性理論に対しては、生涯否定的な立場をとった。)
 
 哲学や認識論の分野では、『感覚の分析』(1886年)と 『認識と誤謬』(1905年)が代表的著作である。
 マッハの認識論の核心部は現在では「要素一元論」と呼ばれることがある。ヨーロッパで発達した近代哲学や近代科学というのは(それを実践する人々は一般に全く自覚していないが)-二元論物心二元論などのパラダイムの中にいる。マッハはそれの問題点を指摘し、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだとした。つまり我々の“世界”というのは、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば彩、、感触…等々)から成り立っているのであって、我々が「物体」と呼んだり「自我」と呼んでいるのは、それらの感覚的要素がある程度安定した関係で立ち現れること、そういったことの複合を、そういった言葉で呼んでいるにすぎず、“物体”や“自我”などというのは本当は何ら“実体”などではない、と指摘し、因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる、とした。そして「科学の目標というのは、感覚諸要素(現象)の関数的関係を《思考経済の原理》の方針に沿って簡潔に記述することなのだ」といったことを主張した。(略)
 レーニンの批判 [編集]
マッハは、《唯心論的立場》対《唯物論実在論》の対立を乗り越えて、その両者の上を行く視座を提供すると称した。マッハは共産主義者らにも影響を与え、オーストリア社会民主党ロシア社会民主党などのボグダーノフバザーロフユシケーヴィチらが弁証法的唯物論を変革しようとした。
それを見て、レーニンは、『唯物論と経験批判論』[3]を書き、「感覚の複合としての物というE・マッハの学説は、主観的観念論[4]であり、バークリー主義のたんなる焼き直し」[5]であると厳しく批判した。
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 ・・・超のつく実証主義者。「まず原子というものを見せてください。この眼で見ないと信用できない」という、星新一のギャグを連想してしまいます。私ごときにはついていけそうもありません。
 レーニンは間違っていたとしても、レーニンに批判されたマッハが正しいとは限らないのです。一応、そのうち自分で読んでは見るつもりですけど、私に理解できるかどうか。