カントの三大批判はむか~し読んだっきりだったのですけど、このたび虚構だの気概だのを論じるにあたって読み返してみたわけです。そしたら、
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戦争ですら、規律と市民権への神聖な敬意をともなって行われるならば、それ自体にある崇高なものをもち、そのように戦争を遂行する国民がますます多くの危険に曝されて、しかも屈せず勇ましく危険に対抗しえたのであるほど、その国民の精神態度を一層崇高なものにする。これに反して久しきにわたる平和は単なる商人根性を、またそれとともに低劣な自利心や、怯懦や、柔弱を、支配的にし、国民の精神態度を低下させるのがつねである。
坂田徳男訳 『判断力批判』(原著1790) 第一部第二篇第二章B二八 「力としての自然について」
『世界の大思想11 カント〈下〉』 河出書房 1965 221ページ
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・・・ダメじゃん。
ちなみに同じカントの「永遠の平和のために」(1795 同書収録)はこの五年後、バーゼルの和約(フランスとプロイセンとの休戦条約)の半年後に書かれていまして、土岐邦夫氏の解説ではそれが直接の動機になったとか書いてありますけど、哲学者がそんなアポステリオリなことでいいんでしょうか。道徳律ってものはもっとアプリオリに、星空のよ~に規則正しくないと。
あらさがしやあげあしとりではりません。「永遠の平和のために」では、
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「哲学者までも、戦争をなにか人間性を気高くするものと考えて賛美している。だが、その際、あのギリシャ人の格言、『戦争は取除く悪人よりも多くの悪人を作るがゆえに厭うべきものである』ということを忘れているのである」
同書追説第一 「永遠の平和の保証について」 427ページ
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と真逆なことを述べています。何を他人事のようにという気もしますけど、あやまちを改めるのに遅すぎるということはないのです。たとえ七一歳になってでも。一生改めない人だって多いのですから。