核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

克己願望―気概のもう一つの形態

 気概ある絶対平和主義者でありたい。そう思い、誰も読んでないかもな考察を続けるアンタルです。
 F・フクヤマは気概を優越願望(人より上でありたい)と対等願望(人なみでありたい)に分類しましたが、私はさらに第3の要素、克己願望(かつみがんぼうではなくこっきがんぼう。自分自身の弱さを克服し、己の力を試したい)をつけくわえたいと思います。
 フクヤマの『歴史の終わり』は持ってないので、気概論の古典、プラトンの『国家』(岩波文庫)から例をあげます。
 気概とは結局欲望の1部なのではないか、と主張するグラウコン(この人物について語ると長くなるので手短に。プラトンの次兄でソクラテスへの質問者です)に、ソクラテスは次の実例を話します(『国家』上第4巻318ページ)。
 
 「アグライオンの子レオンティオスが(略)処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがえそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。『さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!』」
 
 ・・・「恐怖の衝撃画像100!」の類を見るのが好きな私には、レオンティオス氏の「欲望」は理解できそうです。
 「気概」のほうは、正確に理解できているかどうかわかりませんが、自分の弱さ、劣った部分を克服しようとする心の働き、とみてよいかと思います。これは他者を前提とした対等願望や優越願望とは別物なので、私は仮に克己願望と呼ぶことにします。
 とりあえず、プラトンフクヤマの気概論を私なりに解釈したものを、図に書いてまとめます。
 
 理性・・・善悪を判断する
 気概・・・①優越願望(他人より上でありたい)
      ②対等願望(他人と同等でありたい)
      ③克己願望(己自身の弱さを超えたい。この③は私の追加)
 欲望・・・その他もろもろの衝動
 
 他者志向の気概(優越・対等願望)を克己願望におきかえていくことによって、他人へのねたみや追い落としの願望から生じる害を減らしていこう、というのが、私の平和論の方向性です。