核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

フクヤマ『歴史の終わり』上・下 渡部昇一訳 三笠書房 1992

 となり町の図書館から借りてきました。
 コジェーブの読解を経由したヘーゲル主義者の著作。しかも渡部昇一訳。
 ついに右翼に転向したかアンタルキダス。違います。前にも書いたとおり、私は「誰が言ったか」ではなく、その言葉そのものによってよしあしを判断する主義なのです。特に平和の実現に使えそうな言葉であれば。
 で、ヘーゲルとは。ご存知なくても何の問題もない人(せいぜい社会のテストで1点損するぐらいです)ですので手短かに説明します。19世紀ドイツの哲学屋さん。「平和と繁栄では人間の誇りは満たされない。戦争がなくなれば国民は軟弱になる」という主張の国家主義者です。世界史には目的があり、それが達成されたら歴史は終わる(ただし戦争は繰り返される)という論も彼に由来します。
 フクヤマはこのヘーゲル論にのっとって、世界がリベラルな民主主義一色になった「歴史の終わり」以降は、人々は「気概」とくに優越願望を満足させるために、今度は平和と民主主義に対して反乱を挑むようになる、といいます。
 
 このような心理は、一九六八年のフランス五月革命(エベンモン)のような暴動の背後にも働いていることが見てとれるだろう。一時パリを占拠しドゴールを窮地に追い込んだ学生たちは、反乱の合理的な根拠などひとかけらも持ち合わせていなかった。彼らのほとんどは、世界でもっとも自由な、そして繁栄した社会のなかで甘やかされて育ってきたのだ。だが、まさにその中産階級生活における戦いや犠牲の欠如こそが、学生たちを街頭に連れ出し、警官隊と衝突させたのである。
 彼らの多くは、毛沢東主義のような役にも立たない生齧りの理念に毒されながらも、よりよい社会についてのとくに一貫したビジョンは抱いてこなかった。
 (『歴史の終わり』下 250ページ 下線は原本では傍点 かっこ内はルビ)
 
 ・・・激しく同意。日本の1968年はもっとひどいのですけど。またいずれ。
 「気概」の暴走、平和への反乱という事態にどう対処するか。ヘーゲルもコジェーブもフクヤマ渡部昇一も、説得力ある答えを出してはいません。誰かが人々の「気概」を満たす道徳的な方法を提案しない限り、「20××年 ××戦争」の年表は続くのでしょう。歴史、終わってないじゃん。