核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

矢野龍渓の「平和主義」とその限界

 矢野龍渓という人は、新聞記者であり政治家であり小説家でもあり、なおかつ「平和主義」という言葉を日本で最初に(もしかしたら英語のpacifismよりも先に)使った多才な人です。

 具体的には、『経国美談』という政治小説の後篇で、アンタルキダスという架空の人物が「平和主義」に基づく国際会議を提唱するわけです。しかし、会議はセーベとスパルタという二大国の対立によって決裂してしまい、「平和主義」は実現されなかった、という結末になります。

 その後も龍渓は平和主義を扱った作品をいくつか書いていますが、彼の思想を一言でいうと、軍事力の裏付けのない平和主義は無力だ、侵略主義の国を止めるには相応の武力が必要だ、ということになります。

 「その通りじゃないか」という方もいらっしゃるかも知れません。明治前期、むきだしの帝国主義が世界を覆っていた時代には、そう考えるのもやむをえなかったかもしれません。

 しかし、軍事力に軍事力で対抗する思想は、安全保障のジレンマを生み出します。そして、核時代にあってはそれは致命的なのです。私が龍渓に敬意を払いつつも、軍事力によらない平和主義を模索せずにはいられない由縁です。