わが反戦文学論の眼目は、「何によって戦争を阻止するか」といったところになりそうです。
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」には、それが欠けていました。手放しで賞賛できないゆえんです。
矢野龍渓を愛読しつつもそれを乗り越えた木下尚江は、新聞というメディア、言論の力による非暴力的な戦争阻止を、これも小説『火の柱』に書きました。大きな進歩ですが、社会主義的主張と抱き合わせになっていたこともあり、大勢を動かすには至りませんでした。私が平和主義と社会主義の分離を主張するゆえんです。
大正期(第一次世界大戦期)の製薬会社社長、星一(ほしはじめ)は平和薬の普及で軍備が廃絶される未来を、小説「三十年後」に書きました。平和薬を飲みたがらない者はどうするのかという問題は残りますが、製薬会社の宣伝で済ませるには惜しい小説です。
賀川豊彦は移民による貧民問題の解決と、現地人との協力による平和を『空中征服』で描きました。その後の歴史を顧みると最も問題の多い平和論ですが……。
以上、明治大正諸家の平和論を列挙してみました。荒唐無稽なものも中にはありますが、軍事力以外の「力」によって平和を実現しようという志は(矢野龍渓以外は)共通しています。
もし彼らの平和論が非現実的であるとすれば、現実的で(なおかつ軍事力に頼らない)平和論とは何か。そのあたりが目標となりそうです。