そして、フクヤマは「気概」をさらに対等願望(人なみでありたい)と優越願望(人より上でありたい)に分け、それら二つに加えて「欲望」「理性」のすべてを満たせるのは、リベラルな民主主義のみであるとします。冷戦が終結しソビエト連邦(現ロシア)をはじめとする社会主義国が軒並み崩壊した今(1990年代)、リベラルな民主主義を超える理念はもう出現しない。今や「歴史」は終わったのだ!
・・・約20年の時をへだてた2011年現在、フクヤマの勝利宣言が色あせて見えることは確かです。戦争・テロ・資源・食料その他の問題群について、リベラルな民主主義諸国(具体的にどことは言いませんが)はいまだに具体的な解決プランすら提示できていません。これで現在以上の進歩がありえないとしたら、歴史の終わりどころか人類のそれを危惧したくなろうというものです。
私は今のところリベラルな民主主義を最善としつつも(菅政権だって、独裁政権や原理主義よりはましなのです。あっさり退陣してくれる点だけでも)、それだけでは人類の「気概」を満足させきることはできないと考えています。特にフクヤマのいう優越願望だけは、政治体制をどう変えようが全員を満足させることは不可能でしょう。
で、私が期待しているのが文学です。人々の「気概」を満たすのみならず、「気概」の正しい(少なくとも、より害のない)あり方について考えさせてくれる文学。そうした文学の可能性について、博士論文結論部でとりあえずの結論を出すつもりです。