プラトン著、藤沢令夫訳『国家(上)』(岩波文庫 1979)より。半年ほど前に扱った時に、「トラさん乱入編」をやるとか予告してしまいましたが、現在の私にはトラさんを論破できるだけの能力はないことが判明しまして。
第1巻の正義論を少し飛ばしまして(そこが一番重要なのですが)第2巻における、「必要最小限の国家」論を紹介します。プラトンやソクラテスやグラウコン(『国家』の登場人物。というか主人公)はどっから見ても平和主義者ではないのですが、ここでの議論はまんざら平和主義と無関係ではありません。
農夫・大工・織物工(つまり衣食住の担当者)が各一名。その他靴作り、牧人、貿易商、小売商人、賃銭取りが一名ずつ。そういった状態からなる、つまり兵士のいない共同体を仮定します。いわばカタンの初期配置。
※
(ソクラテスの発言)「彼らは穀物や葡萄酒や、衣服や履物を作って暮らすのではないかね。そして家を建てて、(以下、彼らの質朴な食生活についての記述が続きます。大麦粉や小麦粉のパン、塩、オリーブ、チーズ、野の草、豆類など)そしてこのようにして、平和のうちに健康な生活を送りながら、当然長生きしてから生を終えることになり、子供たちにも、別の同じような生活をゆずり伝えることになるだろう」
するとグラウコンの言うには、
「そのようなものは、ソクラテス、あなたが豚の国を建設なさる場合に豚に食べさせる飼料と、いったいどこが違うのですか?」
(傍点は下線に改めた)
※
ならば「普通の国」をめざそうではないか。そうなると、必要最小限だけではなく、ぜいたくな物資や各種サービス業が必要になるわけです。そしてそれら、衣食住を生産しない人々の衣食住も必要に。
※
「そうするとわれわれは、牧畜や農耕に充分なだけの土地を確保しようとするならば、隣国の人々の土地の一部を切り取って自分のものとしなければならない。(略)われわれはついに戦争の起源となるものを発見した。すなわち、国々にとって公私いずれの面でも害悪が生じるときの最大の原因であるところのもの、そのものから戦争は発生するのだ、と」
※
そこから先の理想国家論には、私はまったく賛同できません。
ついでにいうと、私は「衣食住だけの最小限国家」が可能かどうか疑っていますし、仮に実現してもそこで人間どうしの争いがなくなるかどうかはもっと疑わしいと思っています。
ただ、戦争の起源のいくらかは(全部ではないにしても)経済と人口増加によることは確かだと思います。アリストパネスや明治文学にはなかった視点からの戦争観ということで、ここに長々と紹介したしだいです。