核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

核兵器および通常兵器の廃絶が実現したら

 ……素手での殴り合いが始まるだけじゃないか、といった冷笑的な見方もあるかもしれません。それへの弁明を。反論にはならないかもしれません。

 私は性善説ではないので、人間一般に暴力性や敵対心があることは否定しません。それらがあればこそ人類は兵器を進歩(?)させてきたわけで。

 そして私は性悪説でもないので、そうした暴力性や敵対心が克服不可能なものであるとも思いません。問題はどうやって克服するかです。

 道徳、倫理といったものがあるわけですが、それらの多くは集団内の規範を示すものであって(友を利し敵を害せよ、のように)、集団外の他者、「敵」への行動規範を示すものではありませんでした。道徳や倫理が戦争を止められなかったゆえんです。

 キリスト教の「汝の敵を愛せよ」という言は、確かに画期的ではありましたが、残念ながら大多数の人間には実行不可能な教えでした。私としてはもう少し大乗的(?)な、世間一般の人々が実行可能な行動規範が、必要だと考えております。

 プラトンの『国家』第一巻の対話には、敵といえども害するのは正義の行いではない、という趣旨のソクラテスの発言が見られますが、乱入者によって中断され、その議論は深まらないままになりました。『国家』の第二巻以降に描かれる理想国は、自衛のみならず侵略のための戦争を肯定したものになっていて、賛成しかねます。

 恒久的な平和のためには、キリスト教ギリシア哲学の最高水準すら超える、高い倫理が必要なようです。敵に対して〇〇する。その〇〇が埋められれば、兵器廃絶への道も開けるかもしれません。埋められないので、前述のとおり反論にはなっていないわけですが。