実はヤウスの言ってることがどうも腑に落ちなくて読んでみました。
『ボヴァリー夫人』(伊吹武彦訳)も再読しましたが、お目当ては附録の裁判記録のほうです。
ピナール検事の論告(沢田閏(正確には門がまえの中に壬)訳)は以下のごとく結ばれていました。
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この道徳(引用者注 キリスト教道徳)によって、写実主義文学は罪の烙印を押されます。写実主義文学が、憎悪、復讐、愛欲等々の諸情念を描くからではありません。世間の人はそのような生き方しかしておりません。芸術はそれを活写する必要があります。が、それを無軌道に、無制限に描き出している場合は、罰せられなければなりません。規範をもたぬ芸術は、もはや芸術ではありません。
(353ページ)
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検事が告発したかったのは、フローベールよりもむしろ写実主義文学でした。罪を憎んで人を憎まず。ちょっと違うか。ともかく、ヤウスの論旨は間違っていませんでした。疑ってすみません。
なお、ヤウスが引用している判決文の、「地方風俗、地方色を描くという口実の下に、作家が描こうとする事件や人物の言葉や身振りを、異常な形で描き出すことは許されない。このような手法が、美術の制作と同様に、精神の作品に適用されるとすれば、〈美と善との否定であるようなリアリズムに到達するのである〉」(74ページより)という一節も、訳文は違うものの同内容の文章がありました。「美と善の否定ともなる写実主義」。