核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

カール・シュミット『政治的なものの概念』(一九三二) その2

 核兵器および通常兵器の廃絶をめざす平和主義者こそ、まじめにシュミットを読むべきだと私は思うのです。ナチスの理論家シュミットが平和主義者であるからではもちろんなく、平和主義への徹底した反対者だからであり、そうした人との対話こそ平和主義を鍛えるものだと思っています。ドラクエに例えれば、やわらかいスライム10匹を相手取るよりも、がちがちに硬いはぐれメタル1匹と戦ったほうが経験値になるというものです。幸い、故人は逃げないし。
 シュミットの主張は、「友敵関係は実在する」です。平和主義者や理想主義者がなんと言おうと、世界各国は敵対関係で分裂しているのです。昨日引用した、「敵(イスラム教徒)への愛ゆえに国を明け渡したキリスト教徒は一人もいなかった」という論も、そうした文脈の中で使われています。

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 諸国民が今なお依然として現実には友敵に分裂しているのを忌わしいことと考えるとか否かとか、こうした事態のうちに野蛮な時代の原始的な残滓を認めて、このような区別がいつの日か地上から消滅するのを希望するとか、教育上の見地からして一般に敵なるものは存在しないと擬制するのが善であり正であるとか、こういったすべてのことはここでは問題にならない。ここで問題となるのは、擬制とか規範性ではなくて、存在する現実と友敵区別の現実的可能性なのである。先のような希望と教育的努力に共感しようとしまいと、諸国民が友敵の対立によって分裂しており、この対立が今なお実際に存しており、すべての政治的に実存する国民にとって現実の可能性として与えられているという事実、これは理性的には否定しえないところである。
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 「諸国民が今なお依然として現実には友敵に分裂している」のが事実なのは認めます。問題は、それをふまえた上で、いかなる倫理を導き出すかです。