核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

カール・シュミット『政治的なものの概念』(一九三二) その3

 平和主義でさえ、友敵概念の例外ではないというシュミットの批判。

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 いかなるものもこのような政治の帰結(引用者注 友敵の分裂)を避けることができない。戦争に対する平和主義者の反対が平和主義者をして非平和主義者に対する戦いに追いやるほど、つまり、「戦争反対のための戦争」にまで追いやるほどに強力であるならば、平和主義は人間を友敵に分裂せしめるほどに強力なのだから現実に政治的力を持つということがそれでもって証明されるであろう。戦争を妨げようとする意思が戦争自体をもはや怖れぬ程に強力であるならば、こうした意思は正しく政治的動機と化したのである。すなわち、この意思は、極端な偶発時としてではあっても、戦争を、そして戦争の意味をすら肯定するものである。
 『カール・シュミット著作集Ⅰ』慈学社出版 二〇〇七 二六二ページ
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 ……言いたいことはわかります。平和主義は戦争を「敵」として闘う政治的行為なのだから、広い意味で戦争を肯定している、そう言いたいのでしょう。
 この批判があてはまるタイプの平和主義は実在しまして。ずばり『戦争に対する戦争』という反戦文学集が、一九二八(昭和三)年に日本左翼文芸家総連合によって刊行されています。
 いずれ私が「昭和の平和主義文学」といった本を出すとしたら避けて通れない本ですが、この題名は頂けません。
 シュミットの批判はドイツ内の平和主義者にあてたものでしょうが、『戦争に対する戦争』という本はまさにその批判があてはまってしまいます。同書に対しては私は懐疑的です。
 では、友敵概念があてはまらないタイプの平和主義は存在するのか。私としてはムフにならって、『戦争に対する対抗』の方針でいこうと考えています。『戦争に対する平和』ではなく。