核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

イオニア自然哲学におけるブタ

 ヘラクレイトス断片37「豚は汚物で身を浄め、家禽は塵や芥で身を洗う」。
 デモクリトス断片147「豚どもは泥に狂い廻る」。
 いずれも廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者たち』(講談社学術文庫 1997)より。
 古代ギリシア人とブタさんの名誉のために弁護しますと、ホメロスの『オデュッセイア』では、ブタを特に不潔とみなす偏見はなかったようです。流浪のオデュッセウスに人類最古のトンカツをふるまうエウマイオスは、『尊い豚飼い』と呼ばれていました。東方のペルシア帝国の軍事的圧力とともに押し寄せた文化的偏見が、イオニアアテナイにまで流入したのではないでしょうか。ソクラテスの「クリティアスには豚の性がある」発言(クセノポン『ソクラテスの思い出』)や、グラウコンの「もし豚の理想国を作りたいのなら」発言(プラトン『国家』)には、明らかにブタへの蔑視が背景にあります。
 まあ、ブタの立場からはどっちでもいいことですけど。おいらを汚いブタ小屋に押し込めてるのは、一体どいつなんだい。