核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

デモクリトス断片その3 廣川洋一 『ソクラテス以前の哲学者』 講談社学術文庫 1997より

 デモクリ3回柿8年。今回は残念なお知らせです。

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257 (要約。害をなす動物は積極的に殺すべきとの趣旨)

258 正義に反して害をなすものどもは、すべて何としても殺すべきである。このことを実行する者は(実行しない者よりも)、いかなる社会秩序にあっても、快活、正義、勇気、財産の分け前にいっそう多く与ることになるであろう。

259 (要約。国家の敵は害獣と同じように殺すべきとの趣旨)

260 辻強盗や海賊を殺す者は、(その殺害が)自分の手によるものであれ、唆しによるものであれ、投票によるものであれ、咎めなしということになるだろう。
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 「快活」を合言葉とする、明るい哲学者デモクリトスが何としたことでしょうか。
 前五世紀の古代ギリシアは21世紀日本人の想像を絶するほど物騒であり(アルキビアデスやクリティアスのごとき野心家の時代ですから)、甘ったるいヒューマニズムが通じないことは確かにしても、悪人を積極的に「殺すべきである」という主張には賛成できません。
 アリストパネスソクラテス(クセノポンおよび前期プラトンの)はデモクリトスとほぼ同時代(やや後代)の人なのですが、「悪人はみんな殺してしまえ」なんてことは言ってないはずです。それこそアルキビアデスやクリティアスに対しても。
 私は基本的にデモクリトスを尊敬しており、「何もかもすべてを信ずるのではなく、よいと認められたものを信じることだ。前のやり方は愚かであり、後のやり方は思慮ある人の為すことである」(デモクリトス断片67)という意見に賛同しています。ゆえに断片67の精神をもって、断片258~260の見解に反対させていただきます。
 (問題は断片257でして。雑草や雑菌まで殺してはいけないと言い出す勇気は私にはないのです。)
 「ときどき、若者に分別が、老人に無分別がみられることがある。というのも、思慮を教えるのは時ではなく、時宜を得た教養と素質だからだ」(断片183)。私もそう思えばこそ、他人さまからの批判は老若問わず受けつけるとともに、年長者の無分別には容赦なく批判してきました。今後もその方針を変えるつもりはありません。