そう、あの人のことです。
”核通は ネタが尽きたら クリティアス”
アンタル 心の俳句
まずは、おなじみバルバロイ様↓より引用させていただきます。
『ティマイオス』20A-21Aへの古注
ところでクリティアスときたら、高貴な生まれにして豊かな本性を持って育ち、愛知者たちとの交わりにも接し、愛知者たちの間では素人と呼ばれたが、素人たちの間では愛知者と呼ばれ、またみずからも「三十人」の一人となって僭主支配したのである。
ところでクリティアスときたら、高貴な生まれにして豊かな本性を持って育ち、愛知者たちとの交わりにも接し、愛知者たちの間では素人と呼ばれたが、素人たちの間では愛知者と呼ばれ、またみずからも「三十人」の一人となって僭主支配したのである。
では、「愛知者」の一人ソクラテスの、「素人」クリティアスとの対決をご覧ください。こちらは佐々木理訳、クセノフォーン『ソークラテースの思い出』岩波文庫版より。「-」があるほうが本来の発音に近いようです。
このため(引用者注 ソクラテスにブタ呼ばわりされた事件)にまたクリティアースはソークラテースを憎んだ。そしてカリクレースと一緒に三十執政の一人となり、法律制定に従ったとき、このことを覚えていて法律の中に「言葉の技術を教うるを禁ず」の一項を挿入した。これはソークラテースを悪く言おうとして、(略)民衆の悪評を買わせようとしたのであった。
・・・「いつでも国法にはしたがおうとする」主義のソクラテスは、この法律を遵守しつつ、「牛の数を減らす牛飼いは反省すべきだ(意訳)」と遠まわしな言い方で、クリティアスの恐怖政治を批判します。それを耳にしたクリティアスらはソクラテスを喚び出し、「君で以てまた牛の数が減るかも知れん」と脅迫します・・・
クリティアースのソークラテースに対する交わり、および両者相互の関係がどんなものであるかは、以上述べたごとくである。私は敢て言おうと思う、愛慕を感じていない人からは何の教育も得られないと。
熱い。熱いぜクセノフォン。