「皆さんを芝居通と見て、わが喜劇のなかでもこれがもっともすぐれたものと考えました結果、心血注いで練り上げた作品を皆さんに最初に味わっていただきたいと、願ったのであります」(パラバシス気茲蝓^棏僂蓮悒リシア喜劇全集1』橋本隆夫訳 岩波書店 2008)。
おなじみアリストパネース先生の自信作、『雲』を紹介します。
どら息子の馬道楽で多額の借金に苦しむアテーナイ市民、ストレプシアデース。借金の催促を逃れるために、「お金さえ払えば、正しいことでも正しくないことでも議論に乗せれば必ず勝つやり方を教えてくれる」瞑想塾に弟子入りを志願します。古典落語っぽい出だし。
クレーンから吊り下げられた籠に乗って(そういう舞台装置だそうです)、天空から「先生」が出現します。
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ストレプシアデース ソークラテース先生、ソークラーテース先生。
ソークラテース ひぐらしの命はかない者よ、なぜ私を呼ぶのか。
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・・・何やってんですか先生。
登場のしかたからして怪しいけど、言ってることはもっと怪しいです。
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ストレプシアデース 大地にかけて、オリュンポスのゼウスは神ではなかったのですね。
ソークラテース ゼウスとは何だね?馬鹿を言ってはいけない。ゼウスなんていないのだ。
ストレプシアデース いったいどういうことです?ではだれが雨を降らすのです?(略)雷を鳴らすのはどなたですか。これこそ、一番怖いものですから。
ソークラテース 雲が転がって雷を鳴らすのだ。(略)たくさん水を含んだ雲が運動するようにしむけられると、必然の力で雨水を溜めたままお互いにぶら下がる、こうして重くなったのがぶつかって、壊れ、大きな音が出るのだ。
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・・・さっそく借金取りに「ゼウスなんていない。だからゼウスに誓った借金を返す必要もない」とうろ覚えのソークラテース哲学をひけらかすストレプシアデースですが、通用するはずもありません。
(似たような落語があったと思って調べたら、『道灌』でした)
しまいには自分以上にソークラテースづいたどら息子にまで殴られ馬鹿にされ、ようやくだまされたことに気づいたストレプシアデースがソークラーテースの瞑想塾に火をつける場面で、「めでたく本日の歌と舞いは切り」となります。
現存するバージョンと実際に上演されたものでは結末が違うようです。解説によると、上演された第一作(紀元前423年)では「ストレプシアデースが借金取りを追い払い、自分の勝利を喜び祝うところで第一作が終わっていた可能性が高い」。ソークラテースへの逆襲が描かれる現存バージョンは、時事ネタ(クレオンの死など)から紀元前421~416年執筆と推測されるそうです。
どちらにしても、プラトンやクセノポンの描く「ソクラテス」とはキャラが違いすぎるわけで。
プラトンの『ソクラテスの弁明』の記述を信用するならば、実在のソクラテス本人もこの劇をリアルタイムで観ていたようです。いずれ同書も紹介したいと思います。