核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

大江健三郎 「私らは犠牲者に見つめられている」 『世界』 2011・5 No.817

 前から気になっていたのですが、このたびようやく図書館で借りることができました。
 「ル・モンドフィリップ・ポンス記者の問いに」という副題があり、ル・モンド紙三月十七日付の記事に加筆したものだそうです。内容は(むしろ無内容はと言うべきか)、以前紹介したニューヨーカー紙の記事とほぼ同じ。
 
 「ビキニの水爆実験の被爆者大石氏も、私らの同時代の最良の理論家だった加藤周一氏も、原子力発電所の全廃を主張しています。加藤氏は、原爆と、人間が制禦することのできなくなった原子力発電所を同じものとみなします。まだ破局が起らないうちの両者を、千年前の古典、清少納言の『枕草子』を引用して、「遠くて近きもの」と呼びました」
 
 ちなみに枕草子で「遠くて近きもの」の例として挙げられているのは、「極楽、舟の道、男女の仲」です。・・・って、フランス人をバカにしてるんでしょうか?原発と極楽は遠くて近いとでも言いたいのでしょうか。
 加藤周一氏の文学史にはお世話になった身ですが、「原爆と原発は同じもの」という見方には賛成できません。
 焼夷弾にはアルミニウムや油脂が使われているそうですが、アルミホイルやサラダ油が焼夷弾と同じものだとか、お料理にそれらを使うのは空襲犠牲者への裏切りだとか言う人はいないでしょう。
 (皮肉を言っているのではありません。私は母から東京大空襲の実体験を幾度となく聞かされてきました)
 私は原発を少しずつなくしていきたい派ですが、大江健三郎のような非合理的な(文中にひんぱんに使われる言葉で言えば、まさに「あいまい」です)原発反対論よりは、まだ筋の通った原発容認派を相手に議論するほうが生産的だと思っています。
 なお、『世界』誌の名誉のために言うと、この五月号の特集「東日本大震災原発災害 特別編集 生きよう!」には、実体験や確実なデータに基づいた、まともな論文も載っていることをつけくわえておきます。
 大江健三郎福島第一原発建設中には原発推進派であったこと、その過去をひたかくしにしていることは前に述べましたが、武田徹氏の新書にもその指摘があるそうです。いずれご報告します。