論じつくされた問題ではありますが、このブログで扱うのは初めてのはずなので。村井弦斎『食道楽 続篇 秋の巻』「第二百二十三 快楽と幸福」より、弦斎の幸福観を引いてみます。
※
「世間にはよく快楽と幸福を混同する人があるけれど快楽と幸福とは全く別なもので、僕(引用者注 レギュラーの一人小山)の如きは家庭の幸福を望むけれども家庭の快楽を望まんネ、
(略。避暑や避寒の旅行に行く余裕もない家庭で)
芝居へも行かず、寄席も覗かず二六時中只営々として生活に追はれて居るけれども、その代わり夫妻相信じて趣味を同じうし、希望を同じうし、互に相慰め、相励まして楽しい月日を送つて居る時の幸福は王侯の富も之には更へられんと思ふネ、然るに世間の人は悪くすると此の幸福を望まないで彼の快楽を願ふ事がある、」
(138/178)
※
・・・なんか結婚式のスピーチみたいですけど、弦斎は実際に愛妻家でしたし。晩年の家庭は必ずしも幸福ではありませんでしたが・・・。