核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

野崎左文 「私の見た明治文壇」(1927(昭和2)年) その3 日刊新聞印刷編

 特に忙しいわけでもないのに、たびたび更新を休んですみません。
 ブログでさえ毎日更新は手間なのに、明治初期の人々は日刊新聞なんてものをどうやって印刷していたのか。おなじみ「私の見た明治文壇」より。
 
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 其頃(引用者注 明治初期)は今(引用者注 昭和初期)の新聞の如く地方へ宵出しといふ事は無かつたけれども、八頁掛のロール二台で―一台で表、一台で裏を―印刷するのである。而かも蒸気とか電気とかいふ動力もなく、人の手で車を廻させゴトゴト(原文踊り字)と印刷するのであるから、夜の十時前後から刷り始めねば翌朝の配達に間に合はぬので、どうしても五六時間に彫上げねばならぬのである。
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 謄写版とかプリントゴッコみたいな道具で、毎晩時間と戦いながら発行してたわけです。よくあの日本最古の新聞は、『横浜毎日新聞』なんて無謀な題を選んだものです。頭が下がります。私も明日からは毎日ブログをめざします。