核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

渋江保の主権論・普通選挙論(森鴎外『渋江抽斎』 その百三 より)

 二日間のごぶさたをお詫びします。デカルトには及ばないながら、寒い国への旅から帰って参りました。で、今回も小林秀雄ともデカルトとも関係のない話題です。
 渋江抽斎の息子の保(たもつ)と、福地桜痴や島田三郎との関わりについて。
 
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 抽斎没後の第二十四年は明治十五年である。(引用者注 西暦1882年。以下中略)
 保は京浜毎日新聞(引用者注 当時の正式な紙名は『東京横浜毎日新聞』)の寄書家になつた。毎日は嶋田三郎(引用者注 原文のまま。別資料では「島田」)が主筆で、東京日々新聞の福地桜痴と論争してゐたので、保は嶋田を助けて戦つた。主なる論題は主権論、普通選挙論であつた。
 (引用は筑摩書房現代日本文學大系 8 森鷗外集(二)』 1971 93ページより。旧字体新字体に改めた)
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 晩年の『日出国新聞』時代には女性も含めての普通選挙論に転じた桜痴ですが、1882(明治15)年の時点では制限選挙論者であり、なおかつ
 天皇主権論者でした。その桜痴と論争したということは、渋江保はそうではなかったわけで。
 その前後には、同志を何者かに暗殺されたとか、桜痴側の外山正一相手にベンサム憲法論を引用して普通選挙論を説いた話もでてきます。
 これは現物を読む価値がありそうです。『渋江抽斎』のではなく、明治15年近辺の方を。