核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

柳瀬善治「雑誌『台湾愛国婦人』における演芸速記について : 講談『愛国婦人』における「新選組」「幕長戦争」表象を中心に」『アジア社会文化研究』2020・3

 エゴサーチしていて発見しました。

 大正期の『愛国婦人』という講談の元ネタが、福地桜痴の小説『女浪人』であるという発見を含むご論文で、私の博士論文第6章が参照されています。

 

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 もうひとつは菅原健史「福地桜痴『女浪人』論―『主』を持たない者の革 命」」であり、これは『女浪人』を作品として本格的に分析した唯一の論であ る。菅原は「福地桜痴の思想遍歴に照らして「『主』を持たない者の革命」 を描いた文学作品として読み直す」「「主」の名のもとに反復される暴力と報 復の連鎖そのものを「敵」として、その連鎖を断つこと」「生涯「主」に縛ら れた政治人桜痴の限界を、小説家桜痴が創り出した「女浪人」が超越してい く様を表現して」いることがこの作品の意義であるとする。
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 ……で、『愛国婦人』なのですが、日付とか人名の細部は真似てるくせに、かんじんの政治的要素が換骨奪胎されているらしくて。

 

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  越智の評価にあるように、『女浪人』のお信は立憲君主制と代議政体を理想 とする理想に燃えた「演説=議論する女」であり、またロンドンで薙刀で決 闘をする「戦う女」でもある。この進歩性において突出したお信というキャ ラクターの魅力は『愛国婦人』では後半の議論の場面が描かれないことで相 殺され、また菅原が述べる『女浪人』の日露戦争後に持っていた反戦=政治 的抵抗のメッセージも、幕長戦争に接続されることで意味を失う。 

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 ……と、『女浪人』のとんがった部分は失われているようです。ともあれ、私の論文がひとさまの御役に立てたのはありがたいことです。なお、柳瀬論では私が気づかなかった地名や人名の「仕掛け」についても考察がなされ、注32によれば、

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 こうした緻密な設定がなされていたことを考えれば、柳田と越智の仕事以 後ほとんど進んでいない福地桜痴の晩年の歴史小説について再検証の必要が あると思われる。福地についてはジャーナリストとしての活動の検証が進展 しているが、小説家としての福地についてもさらなる研究がなされるべきで あろう。 

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 とあります。「小説家としての福地についてのさらなる研究」、がんばります。