牛鍋が流行した明治初期。洋服姿でワイングラスを傾けるウシと、江戸っ子姿のウマとの対談。
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馬「牛公。久しく会わねえ内、手前は大層出世して、ラシャのマントルにズボンなんぞで、すっぱり西洋風になってしまったぜ。うまくやるな」
牛「おお馬か。手前こそこの節は大層立派な車を引いて(略)にぎやかなとこへばかりドンタクに出かけるそうだがうらやましいぜ。おれたちはウシウシと世間ではもてはやされるようになったけれど、ほんの名聞ばかりで(略)人間の腹に葬られて実にふさいでしまうわけさ」
馬「いやそうでねえ(略)開化とやらの世の中じゃあ、人間はもちろん、鳥獣でも全て生あるものはそれぞれ御奉公をせにゃあならねえ。と、ある先生がおっしゃったのを、馬の耳に風にせずに聞きとめておいたが、手前の仲間は人間に食われて万物のかしらの体を養うのが天への奉公。
(略)
人の腹へ入りゃあ手前たちの役が済んで畜生の業が滅して人間に生まれ変わる道理じゃあねえか。人間でたとえようなら、辛抱しとげて旦那からのれんをもらって出店を開くのだぜ。こちとらは人間の口へ入ろうと思っても誰も食ってくれず(略)業の滅する時はねえ」
牛「そう聞けばなるほど。もっともだ。モウモウ愚痴はいうめえ。アア牛(ぎゅう)の音も出ねえ」
筑摩書房『明治文学全集1 明治開化期文学集(一)』(1966 156ページ。漢字・仮名遣い・句読点はかなり補ってお送りしました)
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・・・ウマがむずかしい事を言ってます。さし絵は能天気なんですけど。
思想なき戯作者として扱われがちな仮名垣魯文ですが、彼はこの輪廻論をどこから思いついたのでしょう。
西洋キリスト教文明にウシが人間に生まれ変わる思想があるはずもないし。ヒンズー教は輪廻は認めるけどウシ食べないし。江戸時代の日本にもなさそうだし。福沢諭吉ら啓蒙思想家にもたぶんないだろうし(あるかも。「ある先生」が誰かによっては・・・)
人間側の勝手な肉食合理化と言われればそれまでですが、魯文のごとき明治初期の小説家も、アニマルライツ(動物の権利)を考えていた一例として、ここに紹介しておきます。