核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

文学は、反戦に協力することもできるはず

 昨日の続きです。できるはずだと私は思います。
 たびたび当ブログが引き合いに出す宋の向戌(しょうじゅつ。紀元前五四六年の人物)は、「美しいことばづかい」によって史上初の国際平和会議を成功させました。
 また紀元前四〇〇年代のギリシアの喜劇作家アリストパネスは、ニキアスの和約が結ばれる直前に喜劇『平和』を上演し、平和の尊さを訴えました(こちらは美しいことばづかいとは言いかねますが)。
 文学者が戦争に協力した例に比べ、ごくわずかなのは認めます。戦争を讃える勇壮な詩というのは、どこの文明でも古代から型ができていて(後に軍歌になった「大君の辺にこそ死なめ」とかですね)、追随・量産化がしやすいわけです。
 それに比べて、反戦詩の開発は遅れています。国家の保護を得られず、むしろ弾圧の対象になるため、どうしても進歩が遅れる。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」は一つの完成形だと思いますし、第二次大戦後には多くの反戦詩・反戦歌が書かれていますが、歴史の浅さは否めません(個々の反戦詩を批判しているのではありません。そもそも私には批判するだけの詩についての素養がないのでした)。
 今検索したところ、中村不二夫『現代詩展望(4) 反戦詩の方法』という本がヒットしました。半可通なことを書くより、少し勉強してからにしようと思います。