核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

平和は十二日後に訪れた。

 喜劇『平和』は平和条約の前後どちらに上演され、賛否いずれの立場だったのか。解決しました。
 『世界の名著 5 ヘロドトス トゥキュディデス』(中央公論社 一九七〇)より。

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 〔二〇〕この平和条約が成立したのは冬も終わり春に入ったころ、アテナイでは市内のディオニュシア祭が催された直後であり(1)、
 (上掲書 トゥキュディデス『戦史』 巻五 四四六ページ)
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 同書四四七ページの注(1)によれば、「ディオニュシア祭はエラペボリオン月(今日の三月)の十三日に終わる。アテナイ市民がいかに平和を希求したかは、この祭典で上演されたアリストパネス『平和』が如実に物語る」とあり、四四五ページによれば平和条約発効日はエラペボリオン月 二十五日。
 つまり、『平和』上演の約十二日後に条約が発効したわけです(先ほど十四日と書きましたが誤りでしたので訂正します)。
 この一事をもって塩野著を批判するつもりはありませんが、アリストパネスは条約の直後に劇を上演したわけでも、「皮肉をこめて」「酷評した」わけでもないことは明らかになったと思います。