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たゞ、一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、あらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない。そして、次のデカルトの言葉だけは人間精神の図式として信用し過ぎてもかまはないと思つたに過ぎない。
「人が、もつてあらゆる現象を演繹出来る様々な根拠が、よもや嘘ではあるまいといふ事。―然し、私は、私が提出する様々な根拠を安心して本当であるとは言ひたくないといふ事。―のみならず、私は此処で、私が嘘だと信じてゐるいくつかの根拠を必要とするであらうといふ事」と。(終り) 一九二九・四・廿八
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第一の準則は、どんなことでも、ほんとうだと明白に認識しないかぎり、けっしてほんとうとは受けとらないということでした。それはつまり〈速断〉と〈先入観〉を注意深く避けることであり、またどんなことでも、まったく疑いをさしはさむきっかけがないほど私の精神にはっきりとまぎれなく姿をあらわすもの以外は、何ひとつ自分の判断に取り入れないということです。
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どうも小林の引用とは逆のことを言っているように思えるのです。少なくとも、「方法序説」の文章のほうははるかに明確です。
もしかしたら別の箇所で、小林が引用したとおりのことを言っているのでは。一応、『省察』はこれから読みますが、「方法序説」の第一準則を否定するような言葉が出てくるものかどうか、疑わしいと思っています。どうもデカルトでさえない気がしてしかたがありません。