小林秀雄の書いたものが無価値であることに変わりはありません。
「様々なる意匠」も、「私小説論」も、「無常という事」も後出しの改竄だらけなのですが(そして、すべての戦後の小林秀雄全集はそれを隠蔽しているのですが)、そうした異同がなかったとしても、何も語っていません。
後出し後付けをくり返し、はずれた予言を当たったように見せかけても、小林秀雄の文章は本質的に無内容です。過去の天才や達人の名前をふりかざして、あたかも深遠なことを言っているように見せかける、ある種のテクニックに長けていることは認めます。それだけです。