核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

わかりにくい理由がわかった

 なぜ小林・湯川対話があんなに難解に見えたのか。湯川秀樹のせいではありませんでした。同じ一九四八年に湯川が出した『思考と観測』を読む限りでは、(数式は飛ばして読んだことを告白しますが)、決してしろうとがついていけないほど難解ではありません。

 同対談が難解に見えるのは、すべて小林秀雄のせいです。もちろん、小林の思想が深遠すぎるから、ではありません。なにひとつろくにわかっていないのに「わかりました」を連発する知ったかぶりと、物理学の世界的権威相手に「神」をふりかざして勝った気になる、度しがたい根性のせいです。そりゃあ湯川だって、「それはそう言えるかも知れん」といった、指示代名詞だらけのあいまい語でごまかしたくなるでしょう。

 全集版について言えば、対談時に言ってもいないセリフを小林がもぐりこませ、湯川がそれに同意しているかのように見せかけるという手口を使っているため、まるで両者が同レベルであるかのように見え、何もわかっていない読者が「達人どうしの火花散るやりとり」を幻視してありがたがったりしています。見当はずれな話です。