核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

そして朝が来た

 伊藤野枝論はすぐ解凍できる程度に凍結して、今週は小林秀雄週間にしようと思います。湯川秀樹との対談「人間の進歩について」をめぐって。

 『新潮』初出と『小林秀雄全集』収録版では長さも内容も大幅に違うのですが、ひとまず一番気になってるところを。

 

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 湯川 原理的にそうです。ラジウムのようなものでは、原子になる自身がやや複雑な構造を持つているが、もつとく簡単な、構造のない電子や光子の場合に適用してみて、それは正確に言えることなのです。
  『新潮』一九四八(昭和二三)年八月 四頁

 

 湯川 原理的にそうです。ラジウムのようなものでは、原子そのものがやや複雑な構造を持っているが、もっともっと簡単な、中性子や中間子のような不安定な素粒子の場合に適用してみても、確率的な法則が正確に成立しているのです。
  『小林秀雄全集』 二二六~二二七頁

   ※

 

 はたして湯川秀樹が発言したのは「電子や光子」なのか、「中性子や中間子」なのか。対談は一回しか行われていないのですから、この二つのどちらかは改竄されたものということになります。

 私には高校生レベルの物理の知識さえないので、物理学方面からのアプローチは図書館で勉強してからということになりますが。

 こうした、明らかに矛盾した内容の異同が、初出と全集では多数あります。そして、小林秀雄全集(第五次)の別巻、補巻(全三巻)には、それらの異同についての言及はなく、国語辞典レベルの語釈に終始しています。

 小林が言及している雑誌『サンス』とその論文が入手できないのは痛恨ですが、手持ちの資料だけでも、すべての異同を明らかにすることはできそうです。そしてそれは『小林秀雄全集』版のこの対話が実は対話ではなく、小林の一人芝居にすぎないことを証明することができそうです。