今回は初出『新潮』から引用しますが、この箇所に限っては全集等との異同はありません。
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小林 私ちょうど原子爆弾が落つこつたとき、島木君がわるくて、臨終の席でその話を聞いたとき、ぼくは非常なショックを受けた。人間も遂に神を恐れぬことをやり出した・・・・・・。
『新潮』(一九四八(昭和二三)年八月 八四頁)
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その後も、原子爆弾の発明が神を恐れぬ所業だと繰り返し語っています。異同がないところからみて、このとおりの発話が実際の対談でもなされたのでしょう。
この発言に感心し、小林をほめる人は多いようです。あの高橋誠一郎氏でさえも、この点だけは小林を評価しています。
しかし、私は疑います。下記の二点について。
1、上記の発言は事実に基づいているのか?(伝記的事実への疑問)
2、小林秀雄に原子爆弾を「神を恐れぬこと」という資格はあるか?(倫理的問題への疑問)
この二点をつきつめて、小林・湯川対談をめぐる論文のシメにしたいと思います。