一九二〇年、月に植物があるとか、火星から無線電信らしきものが届いているといった話題の後、村井弦斎は独自の文明論を展開します。
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諸国の学者が頻(しきり)に火星との通信の事を研究し始めました。中には圧搾瓦斯(あっさくガス)の放射力を利用して、大飛行機を火星まで送ったらよからうと、その飛行機の模型図まで考案して新聞に出した者もあります。
(略。以下、火星人はいるという前提のもとに)
借問す火星の人類には、地球上の如き戦争とか殺人とか、或は近頃の尼港事件の如き忌はしい残酷事件があるでせうか。
(略。地球人類の歴史は殺人の歴史であったと回顧し)
古今人類の歴史は所謂(いはゆ)る殺人の歴史に過ぎません。歴史上に於て光栄者と尊崇せられた五大豪傑とは、最も多く人を殺した者を称するのです。国の興るとは最も多くの他国人を殺してその土地を奪った事を称するのです。人智が進んだとは、五万頓の軍艦が出来、百頓の大砲が製造せられたといふ如き殺人機械の巧妙になつた事を云ふのです。
(略)
されば国内に於て一個人が一個人を殺す事は最大悪事として罰せられながら、一国を挙げて他国人を多く殺す事は最大善事として歴史上の誇になつてゐます。
斯んな矛盾した事が果して火星の人類社会にあるでせうか。
(略)
もしや科学者の空想が実現されて、圧搾瓦斯の飛行機に乗つて、今日の人間が火星に行き得るとしても、火星の人類から地球の人類の状態を尋ねられたら、人間は何と答へるでせう。
もしや右の儘(まま)に近頃の大戦争で幾百万人が死傷したなぞと答へたら、火星の人類に失望させる事がありはしますまいか。此の点からいふと、人が火星に使いする事は、マアマア、モー少し後の時代に延期して貰ひ度いものですね。
地球の人類が火星の人類に対して恥かしからぬ状態となつた時に実行し度いものですネ。
村井弦斎「感興録(二)」(『婦人世界』一九二〇年九月号)
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火星人のほうが好戦的である可能性は考慮されていないとか、隙の多い論ではあります。H・G・ウェルズが火星人の侵略を想像した『宇宙戦争』は一八九八年発表。
しかし、日本がシベリア出兵という戦争のさなかに書かれた論としては、堂々たる戦争否定論になっていると私は思います。