核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

弦斎にとって「月」とは

 『水の月』は、題名に反して、月世界に水があって生命体がいるとか、そういうヴェルヌ風のSFではありませんでした。そもそも月自体、話に絡んできません。

 では、弦斎文学にとって月とは何か。『水の月』の二年後に書かれたメタフィクション『小説家』に、「月世界(趣味は如何)」という章があります。

 文学者が集まる会で、これからの文学はドイツ趣味だ、いやロシアだとかいう議論が起ります。改行を補ってお送りします。国名の漢字がちょっとわかりずらいですが、ふりがなは省略しました。

 

 「諸君、今年は実に多望の歳である、英を圧倒し佛を凌駕し、日耳曼を辟易せしめ、魯西亜を遁走せしむるは方さに今年に在り」

 乙「ヒヤ/\、実に君の説の通り今年は長足の進歩を為すべき時である、昨年来独逸趣味が大分発達したから今年は是非魯西亜趣味を世人に紹介しよふ、魯西亜にも大家がある、トルストイツルゲーネフの如きプーシキン、レルモントフの如き、ゴルチヤコフ、セルワンテスの如き何れも魯西亜の大家そして我党の人じや」

 丙は傍より「オイ/\、ゴルチヤコフは政治家で、セルワンテスは西班牙の人だぜ」

 乙「何でも構はん、人の知らぬ様な名前を大袈裟に吹聴すべしだ、」

 丁「ヒヤ/\、然し、独逸、魯西亜は既に古い、僕は埃及趣味を持ち出さふと念ふ」

 甲「埃及も陳腐/\、波斯が宜かろふ、」

 座末なる一人進み出で「諸君の言ふ所皆な奇ならず、僕は目下エスキモーの趣味を研究して居る、エスキモーの趣味は実に神韻縹渺たるものだ」(略)

 「我輩は是れより月世界の趣味を研究せん」
     『小説家』 郵便報知新聞 一八九一・一・八

 

 最後の一人が言う「月世界の趣味」は、それまでの、これからはドイツ趣味だ、ロシアは古い、といった軽薄な議論とはあきらかに次元を異にします。

 もちろんヴェルヌの『月世界旅行』のようなSFを書きたい、という宣言ともとれますが、私はもっと大きく解釈します。つまり、ドイツやロシアなど外国のものまねではない、かといって古い日本文学への回帰でもない、オリジナルな文学を書きたい!という弦斎なりの宣言だと受け止めます。

 『小説家』には以下のような言もあります。

 

 「古往今来何れの時か欠陥世界ならざらん、自ら造らずんばユトーピヤ無し」
    『小説家』 郵便報知新聞 一八九一・一・一三

 

 アメリカに留学し、ロシア語も学んだ弦斎ですが、そうした外国を無批判に崇拝することはしませんでした。西洋文明も明治日本文明も過去の諸文明と同様に「欠陥世界」であり、ユトーピヤは「自ら造る」以外にないという宣言です。

 そうした理想を仮託すべき場所が「月」であり、「水の月」という現実世界への理想の投影ないし反射を意味する・・・・・・というのが、現時点での私の解釈です。