核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎の人生が提起する問題

 平塚、豊橋の両市をはじめとして、村井弦斎が脚光を浴びているのは好ましいことですが。どうも毎回「食道楽の人」「食育の提唱者」という切り口ばかりだと、少々不満を感じてもいます。それだけの人ではないのです。そもそも『食道楽』は、シリーズ『百道楽』の一つ。百分の一とまでは言いませんけど、食要素は弦斎の一部に過ぎないのです。

 では、弦斎の文学人生を貫くキーワードは何か。ずばり「戦争」です。

 弦斎はデビュー作「加利保留尼亜」で、十九世紀以前の英雄(ナポレオンとか)は人間同士の戦争で名を挙げたが、二十世紀以降の英雄は天然力との戦争、つまり災害阻止や病気撲滅で名を残すべきだとのヴィジョンを掲げています。

 しかし郵便報知新聞での出世作「匿名投書」では、ロシア・清国の連合軍が侵略してきた静岡県を、富士山もろとも爆発させて敵軍を全滅させるという未来像を描いています。

 それ以降、弦斎の作品には戦争是認、軍国主義の色が濃くなります。小説『食道楽』自体はそれほどでもないのですが、舞台化された「脚本 阿古屋及び食道楽」では露骨に日露戦争の勝利をたたえています。

 しかし最後の小説『小松島』の末尾で、弦斎は絶対平和主義に転じ、潜水艦だの戦闘機だのは人類の暗黒な部分、殺人に特化した悪しき文明の産物にすぎないと喝破しています。えらい変わりようです。

 今日、村井弦斎を読み、文学研究の対象とするということは、

 「人はいかにして軍国主義者になるのか。そして人はいかにして絶対平和主義に転ずるのか」

 の研究と同義であると思います。少なくとも、私はそこに主眼を置いています。

 もし軍国主義の治療法、そして絶対平和主義の促進法が発見されれば。プーチン金正恩を絶対平和主義者にする方法が発見でき、軍事力によらずして世界平和を実現するのも夢ではありません。

 先頃見つけた「水の月」は、前述した「加利保留尼亜」と「匿名投書」の間の時期、弦斎の知られざるミッシングリンクにあたります。少なくとも、平和主義者が軍国主義者に転ずる過程は見いだせるのではないかと、私はあたりをつけています。

 

 2024・1・12追記 「水の月」には、戦争についての言及はありませんでした。しかし、差別についての深い考察は見受けられ、これはこれで論文を書く値打ちはありそうです。