核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

村井弦斎のパルチザン例外論

 弦斎が世界平和への道は婦人の力にかかっているとした、『感興録』の一節。

 

   ※

 婦人は決して殺人とか戦争とかいふ如き残酷なる事を好むものではありません。

 勿論(もちろん)今日の社会には環境の事情に化せられて、パルチザンの婦人の如き残酷性を帯びたる婦人もありますけれども、婦人の天性は平和を好むものですから、婦人の人格に母といふ力が充実し、その母の理想通りに子供を教育し得る様になつたら、いかなる母と雖(いへど)も、人を殺して悦ぶ如き子供を造る筈がありません。

  村井弦斎「感興録(二)」(『婦人世界』一九二〇(大正九)年九月 五四頁)

   ※

 

 ・・・・・・なんか、カール・シュミットの嘲笑が聞こえてきそうな文章です。その「例外」こそが政治の本質なんだよと。女性も子供も動員し、軍人も民間人も区別なく虐殺するパルチザンこそが、二十世紀の戦争の行き着いた末なんだよと。

 私はもちろん弦斎を嘲笑したりはしませんが、真面目につっこみたくはなります。尼港事件(一九二〇年の、パルチザンによる民間人もふくめた日本人への虐殺)の遠因となった、シベリア出兵について批判しないのはどうなのかと。それ以上にそれらの真の遠因である、ソ連レーニン政権の非人道性を批判しないのはどうかと。

 ほぼ同時代、弦斎の元上司であり恩人である矢野龍渓は、ソ連レーニン政権の非人道性をまっこうから批判していました。それに比べると、弦斎の平和論には物足りなさを感じます。