前回は、「書いてあることをひとまず信用して話をすすめますが」などと、ひっかかる書き方をしてしまいました。というのも、江藤淳という人を全面的には信用できない理由があるからです。
新潮社のサイトの、「小林秀雄全集物語」というページにはこうあります。
https://www.shinchosha.co.jp/zenshu/kobayashi/monogatari.html
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第三次全集は、昭和42年6月から43年5月にかけてである。大岡昇平・中村光夫・江藤淳の三氏を編集委員に迎えた第三次全集は、大正年間以来の著者の業績が徹底的に蒐集され、分類され、主題別年代順の全十二巻に構成された。精緻な年譜や書誌なども初めて備えられた。
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……その江藤淳を編集委員に迎えた第三次全集が(それに限らず、すべての小林秀雄全集がなのですが)決して「精緻な書誌」など備えていないことを、当ブログはたびたび扱ってきました。
たとえば「我が闘争」の戦前の書評に、戦後になってから「邪悪な」と書き足していることは、本当に「徹底的に蒐集」したのであれば一目瞭然なのですが、六次におよぶ小林秀雄全集は一貫してそれをなかったことにしています。
そうした忖度全集に手を染めた江藤淳が、果たしてWGIP関連の調査の時にだけ誠実であったということがありうるか。それが信用できない理由です。