核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

江藤淳『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』文芸春秋 1989

 日本が敗戦した1945年以降、アメリカ占領軍が遂行したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)について詳細に調査した労作。とりあえず、以前に江藤淳を「非学問的」と評したのは一時撤回します。以前読んだ文芸評論の印象に引きずられていました。

 いつもなら国会図書館に飛んでウラをとりにいくところですが、今回は英語の公文書がメインな上に膨大なので、追試は私の力では無理です。

 で、書いてあることをひとまず信用して話をすすめますが、WGIPは私がこれを読む以前に考えていたより陰湿で徹底したもののようです。戦前には検閲のがれのために一部を伏字にして、個々の語は犠牲にしても、「ここはあのタブーの話ですよ」「危ない内容ですよ」というメタなメッセージを伝えることはできたわけですが(だからって、それを「文化」と呼ぶのはどうかと思うがな)、戦後のは伏字すら許さず、検閲があったこと自体を見えなくするという隠微な検閲でして。

 で、戦後日本人は「閉ざされた言語空間」にいる、そのこと自体に気づいていない、目覚めよ諸君!といったあたりが江藤の主張なのですが、それへのささやかな疑問をいくつか。

 WGIPがそれほど強力なものなら、戦後すぐの逆コースや、自衛隊の結成といった動きはどう説明できるのか。アメリカが最も嫌がるはずの共産主義思想が、戦後一定の勢力を持っていたのはどういうわけか。何より日本人である江藤淳が、アメリカの公文書館でWGIPについて調査し、日本語で発表するのを野放しにしておくのはどういうわけか。

 今のところは反論ではなく、疑問の段階です。