核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

WGIPの反対語は

 英語はわからないので、仮にWGIPの反対語を「戦争は罪悪ではないという洗脳」としておきます。

 問題は、WGIP(「戦争は罪悪だという洗脳」。長いので以下「前者」とする)と、「戦争は罪悪ではないという洗脳」(以下「後者」)を比べた場合、どちらがより「洗脳」の名に値するかです。

 洗脳とは普通、常識・良識に反する独断的な意見を、理性に反するやり方で暴力的に刷り込むことをいいます。

 明治維新から敗戦(仮に1945年8月を境としておきます)に至るまで、日本政府が行ってきた営為と、1945年8月からのわずか数年間に米国人が行った営為(一応、江藤の集めたデータが正しいと仮定します)のどちらがより「洗脳」の名にふさわしいか。仮に後者だとすると、その洗脳を暴露した江藤淳自身が、まったく安全なまま(江藤自身は命を狙われたと主張していますが、弟子の福田和也は否定しています)それに反する言論を展開できるのはおかしくないか。

 どうも私には、近年復活しつつある前者のほうに、「洗脳」の名にふさわしいものを感じるのです。