核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

上からの平和主義と、下からの平和主義

 トップダウンボトムアップ。平和実現にも大きくわけてこの二種類があると思うのです。

 ここでいう上からの平和主義というのは、たとえば国連平和維持軍や、賀川豊彦らが構想した世界国家のような、諸国家より上位の主体による調停等を指します。

 それに対して下からの平和主義というのは、戦争の主体である諸国家と同等かそれ以下(たとえば個人)の立場からの、平和実現の動きを指します。具体例としては古代中国の向戌(しょうじゅつ)、古代ギリシアアリストパネスがあげられます。

 学校のクラスに例えれば、前者は先生からの、後者は生徒からの暴力防止策、ということになります。

 上からの平和主義がすべて悪い、などというつもりはありませんが、それはえてして、暴力的な平和の押し付け、星新一の「白い服の男」的な平和全体主義に陥りかねない危険をはらんでいます。私がいまだに日本のPKO参加に反対し続けているゆえんです。

 下からの平和主義にも欠点はありますが(上からのに比べて強制力に欠ける……まさにそれゆえに「下からの」なのですが)、文学研究者の私が関心を持っているのはそちらのほうです。ゲームマスター(ルール裁定者)ではなく一プレイヤーの立場から、平和の強制ではなく平和の提案によって、「場」を変えていく。賀川豊彦には申し訳ないのですが、文学関係者が平和に貢献できるのは、下からの平和主義の方向であると私は考えます。