核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

今さら江藤淳など読み返してみた。

 「奴隷の思想を排す」「作家は行動する」「成熟と喪失」あたりを。

 観念的な日本文学の伝統・風潮に対し、現実に取り組んで行動する作家の出現を期待している論調と見受けたのですが、それを主張する江藤淳自身の論があまりに観念的・抽象的で、どのように、何のために行動する作家を求めているのか、さっぱり見えてきませんでした。

 三島由紀夫をおとしめ、初期の大江健三郎石原慎太郎をむやみと持ち上げている点で、江藤淳の作家観は私とは無縁のようです。あ、「作家は行動する」の、小林秀雄とそのエピゴーネン(追従者)を批判したくだりは明快でした。彼らはすでに評価の定まった、死せる「天才」だけを相手にしている骨董趣味者にすぎないと。同感です。

 その後、江藤淳自身が小林秀雄の追従者としか言いようのない批評家になっていくわけですが……。

 (2019・12・8追記 読み直しの読み直しをした結果、どうも「行動」の意味を取り違えていたようです。誤読は認めますが、江藤淳への低評価を取り消すつもりはありません)