核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

なぜ文学研究を通して平和を論じるか

 戦争のニュースに熱狂する欲望と、小説を読みたいという欲望は相似形にあるのではないかと、私はあたりをつけています。つまり、安全な場所から危険と興奮を味わいたいという欲望です。

 初期の村井弦斎を例にあげますと、退屈な読者が小説(あるいは小説的体験)を求める欲望を考察したメタフィクション『小説家』を書いた直後に、その『小説家』内の小説家が書いたという趣向で(作外作とでもいうのでしょうか)、軍国主義的な『大福帳』を書いたという例があります。博士論文ではうまくそのあたりを分析できませんでしたが、再挑戦してみたいテーマです。

 なら、小説を読みたい欲望というのは悪いものなのか、禁じられるべきものなのか(明治時代にはそういう論者もいました)、といいますと、それには私は賛成しません。むしろ、戦争を求める欲望を小説を求める欲望に置き換えていくことによって、文学を戦争抑止に役立てられないかと考えております。突飛な議論と思われるかも知れませんが、それはアリストパネスや木下尚江がめざした道でもあると思います。