核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ

近代文学研究を通して、世界平和を考えています。

今夜もぼんやり考える。

 批判するのに検索で済ますのもどうかと思ったので、本棚の奥から引っ張り出してきました。
 「マタイによる福音書」の5章。

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 43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
  (日本聖書刊行会『新改訳 聖書』 一九七三)
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 前段に似た思想はプラトンの『国家』冒頭にも引用されており、かなり古い思想と思われます。
 それを否定したのがイエスだったわけですが、その結果はどうだったでしょうか。
 キリスト教徒の大多数にとって、それは実行不可能な思想でした。同宗教の歴史を見ても、それどころかこの『聖書』そのものを見てさえも、宗教戦争・異教徒の奴隷化や虐殺と、敵への不寛容に満ちています。 そうではなかった少数の人々もいることは認めますけど。
 「敵を愛しなさい」というのは、そもそも大多数の人間にとって無理な教えだったのではないか、と言いたくなります。宗教家なら良き少数派の救済だけを問題にすればいいかもしれませんが、私にとって大事なのは多数派も少数派も含めた世界平和なので。
 「敵を憎め」という思想が戦争や虐殺につながり、「敵を愛せ」ではそれを阻止できないとしたら。 
 そこでムフの「敵を対抗者として遇する」という思想が、私には斬新に映るわけです。ニーチェキリスト教批判にもそれらしき思想の萌芽はありましたし(手元にニーチェの本がないのでうろおぼえですが)、人類初ということもないでしょうが、私にとっては衝撃でした。
 ムフ自身はキリスト教や古代思想についてどう考えているのか、早く知りたいものです。そうそう国会図書館まで出かけるわけにも行かないので。急にスケールの小さい話ですみません。